合州国司法長官ジャネット・リノ他 対 アメリカ自由人権協会他
(Reno, Attorney General of the United States, et al. v. American Civil Liberties Union et al.)

No.96-511.

521 U.S. 844; 117 S. Ct. 2329; 1997 U.S. LEXIS 4037; 138 L. Ed. 2d 874; 65 U.S.L.W. 4715; 25 Media L. Rep. 1833; 97 Cal. Daily Op. Service 4998; 97 Daily Journal DAR 8133; 11 Fla. Law W. Fed. S 211

合州国連邦最高裁判所

1997年3月19日弁論
1997年6月26日判決

ペンシルバニア州東部管轄区連邦地方裁判所からの上訴



概要: 1996年の通信品位法(Communications Decency Act:以下"CDA"もしくは"この制定法")における二つの条項は、インターネット上の有害な情報データから未成年を保護することを目的としている。インターネットは、何百万という人々が「サイバースペース」で相互に通信し合い、世界中からの膨大な量の情報にアクセスすることを可能とする、相互に結ばれたコンピュータから成る国際的なネットワークである。連邦法第47編223条(a)項(1)号(B)(ii)(Supp.1997)は、「わいせつな又はみだらな」メッセージを「知りながら」18歳未満のいかなる受信者へも伝達することを違法としている。223条(d)項は、「内容からして今日の社会的基準では明らかに不快と考えられる程に、性行為や排泄行為または性器や排泄器官を描画もしくは描写している」通信はどのようなものでも18歳未満の者に「知りながら」送ったり呈示したりすることを禁じている。このように禁止されている通信手段に未成年者がアクセスしないよう規制するのに「善意で・・・効率的な・・・行動」をとろうとする人達には積極的抗弁が用意されており(223条(e)項(5)号(A))、また、検証のできるクレジットカードや成人証明番号といったような特定の年齢証明方式を要求することにより、そうしたアクセスを制限する者達にも積極的抗弁が認められている(223条(e)項(5)号(B))。原告の多くが223条(a)項(1)号と223条(d)項の合憲性判断を求めてきた。多岐にわたる事実認定が行われた後、この制定法に従い召集された三人の連邦地方裁判所判事は、争点となっている両条項の施行に対して仮差止命令を認めたのである。
 この裁判所の仮差止命令は、223条(a)項(1)号(B)の禁止条項が「みだらな」通信に関連するものである限り、政府がその条項を施行しないように差し止めるものであるが、そこで禁止しているわいせつな行為または児童ポルノ行為を捜査・訴追する権限を政府に認めることは明白に判示している。223条(d)項の施行に対する差止命令は、本条がわいせつ性あるいは児童ポルノについて個別の言及を行っていないが故に、認められない。CDAが過度に広範囲に亘るものであるから修正第5条違反し、曖昧であるから修正第1条に違反すると誤って連邦地方裁判所が判断したと政府側は主張して、この法の特別審査条項に基づき、当法廷に上訴してきたのである。


判示: CDAの「みだらな通信」条項と「明らかに不快な表示」条項は合州国憲法修正第1条によって保障される「言論の自由」を制限するものである。Pp.17-40(訳注:原文頁に対応、以下同様)。


(a)CDAの曖昧性は修正第1条の過度の広範性問題に関連するが、原審は、修正第5条問題に言及するまでもなく、判決維持されるべきである。 P.17。

(b)政府が依拠する先例---Ginsberg v. New York, 390 U.S. 629 ; FCC v. Pacifica Foundation, 438 U.S. 726 および Renton v. Playtime Theatres, Inc., 475 U.S. 41 ---をより詳しく見てみると、CDAに救済の手を差しのべるというより、むしろCDAの合憲性について疑念が浮かんでくる。CDAは、以下の点を含め多くの点において、これらの判決で支持された多くの法や命令とは異なっている。つまり、CDAは規制された情報データを子供が利用することに両親が同意することを認めていないこと、CDAが商業取引に限定されたものではないこと、「わいせつ」についての何らの定義を行っていないこと、「明らかに不快な」情報データが、社会的に評価されるべき価値を欠いていると判断するに何らかの要件を付けていないこと、広範囲にわたる領域への禁止に対し時間的な制限を設けておらず、メディア独自の特徴に精通した機関がなす評価に基づいてこの禁止がなされるのではないこと、懲罰的であること、ラジオとは異なり全面的に修正第1条の保護を受けるメディアに適用されること、内容に基づき表現に対して包括的な規制を行なう故に、時間、場所、方法による規制が適切に分析できないこと、である。さらに、これらの先例は、当法廷にCDAを支持するように求めてはおらず、CDAの条項に最も厳しい再検討を加えることが最も首尾一貫するのである。Pp.17-21。

(c)放送メディアの規制を正当化するといった、いくつかの裁判所で認められてきた特別の要因は、サイバースペースでは存在していない。たとえば、放送に対する広範にわたる政府規制の歴史については、Red Lion Broadcasting Co. v. FCC, 395 U.S. 367, 399-400を参照、規制当初からの割り当て周波数の不足については、Turner Broadcasting System, Inc. v. FCC, 512 U.S. 622, 637-638を参照、規制の「立ち入った」性質については、Sable Communications of Cal., Inc. v. FCC, 492 U.S. 115, 128を参照。よって、これらの判決は、修正第1条による審査レベルをインターネットに適用し得るように修正することへの根拠となっていないのである。Pp.22-24。

(d)CDAはあまりにも漠然としているが故に、修正第5条に違反するか否かにかかわらず、その適用範囲に関する多くの曖昧さが修正第1条の趣旨に鑑みて問題となるのである。たとえば、「わいせつな」とか「明らかに不快な」という用語を定義せず使うことは、この二つの基準は互いにどのような関係に立ちそして一体何を意味するのかについて、情報発信者に予測不可能なものを引き起こすであろう。そのような表現内容から判断する規制の曖昧性(たとえばGentile v. State Bar of Nev., 501 U.S. 1030)は、刑事法におけるような抑止効果と合いまって(たとえば、Dombrowski v. Pfister, 380 U.S. 479)、明らかに自由な表現を萎縮させる効果として働くが故に、特に修正第1条の問題となるのである。政府の主張とは反対に、CDAの「明らかに不快」基準が、Miller v. California, 413 U.S. 15, 24判決において確立した三点のわいせつ性テストの第二部分の単なる移し換えであるという事実によって、CDAは曖昧であるという非難から逃れられない。Miller判決における第二点目のテストは、禁止される情報データが、「個別に適用可能な州法によって定義される」ことを要件とすることで、それ自身の持つ「明らかに不快な」という用語の持つ独自の曖昧性を少なくするものである。更に、CDAは、「性的な行為」にのみ適用され、一方ではCDAの禁止事項は性的な性質と排泄的な性質両者を持った「排泄行為」と「器官」にも及ぶとしている。Miller判決の残り二つのテストはそれぞれ、わいせつ性の定義についての不確定な広がりを批判的に制限している。この三つの制限を加えることによる一つの定義ならば曖昧ではないのだから、これらの制限の一つ一つは単独でも不明瞭ではない、ということにはならない。CDAの曖昧さは隠れた有害な情報データから未成年者を守るという議会が目指す目的に合致するようにCDAは周到に形を変えていくという可能性を否定してしまっている。Pp.24-28。

(e)CDAは、制定法が言論の内容を規制しようとするとき修正第1条が求める精確性を欠いている。政府は、隠された有害な情報データから子供達を守るという権利を有しているけれども(たとえばGinsberg, 390 U.S., 639頁参照)、CDAは、成人が憲法上保障された権利として、発信受信する言論の多くを抑圧することによって、政府の持つ権利を行使しようとしている(前掲Sable判決126頁参照)。CDAの広範囲性は、全く先例に基づくものではない。もし制限の少ない代替案が少なくともCDAの立法趣旨を実現するのには効果的であるとするならば、CDAが成人の言論に課す重荷は受け入れがたいものである(Sable判決,492 U.S., 126頁参照)。政府はそうではないと証明しなかった。一方で、連邦地方裁判所は、現在利用可能でユーザー自身が操作できるソフトウェアが、親達自身が不適切と考える情報データに自らの子供がアクセスできないようにする合理的で効果的な方法が間もなく広く一般に可能となるということを、示唆していると判示している。さらに、当法廷での議論は、親が管理するのに容易となるようにわいせつな情報データには「目印を付ける」ことを要求したり、芸術的あるいは教育的価値をもつ情報には例外を設けるとか、親の選択には何らかの許容性を持たせるとか、インターネットの何らかの部分を他の部分とは異なるように規制するといったような、可能な代替方法にもふれている。特に、詳細な議会の調査や聴聞会やCDAの特異な問題についての言及も為されなかったことに照らして、当法廷はCDAは狭い範囲に適合しているのではないと確信している。Pp.28-33。

(f)政府がCDAの積極的な禁止条項を支持するために追加した三つの論拠は採用し得ない。第一に、CDAは通信の「代替チャンネル」を十分広くしてあるので合憲であるという主張は説得力がない。なぜならば、CDAは言論内容に基づいて言論を規制するものであり、「時、場所、方法」による分析が適用できないからである(Consolidated Edison Co. of N. Y. v. Public Serv. Comm'n of N. Y., 447 U.S. 530, 536頁参照)。第二に、多くのインターネット上の場は全ての人に開かれており、「特定の人」という要件を最も狭く解釈したとしても、わいせつな表現に反対する者全てに「一方的な差止」という形で強大な検閲権を与えることになるのを考え合わせると、CDAの「知りながら」と「特定の人」という要件が、送信者が18歳未満であるとわかっている者への通信だけを制限しているという主張は支持できない。最後に、科学的、教育的もしくは何らかの社会的価値があるとされる情報データが必然的にCDAの禁止事項の外にあるという主張には書類による支持が全くない。Pp.33-35。

(g)223条(e)項(5)号の積極的抗弁は、CDAにとっては救いとなるであろう「狭い範囲に適用する」ようなものとなっていない。伝達者のわいせつな通信に「目印を付ける」こと、これにより適切なソフトウェアによりわいせつな通信の受信を阻止することによって、伝達者は未成年者を守るための「善良な行為」を行うことができるという政府の主張は、そのような行為が「効果的」なものであるという要件を考慮しても、幻想に過ぎない。そこで示されているスクリーニング・ソフトウェアは今のところ存在していない。しかしもし存在していたとしても目には見えない受信者が実際に暗号化された情報データを阻止するかどうかを知る由もないであろう。政府は同じく、223条(b)項(5)号の身分確認の積極的抗弁が成人の表現に過大な負担をかけないであろうことを明白に証明できていない。たとえそのような積極的抗弁が実際に性的に露骨な情報データを供給する商業的プロバイダーによって用いられているとしても、それは殆どの非営利の発言者にとっては経済的に実現可能なものではないと連邦地方裁判所の判断が示している。Pp.35-37。

(h)可分条項608条を尊重することそして不可分な用語を狭く解釈することによりCDAの合憲性を当法廷は認めるべきであるという政府の主張は、次の一点においてのみ受け入れることができる。わいせつな言論は全て禁止され(前掲Miller判決18頁参照)、223条(a)項が「わいせつな」情報データを禁止することとは別に「みだらな」情報データを禁止するという別の文字表現を持っているのであるから、裁判所は223条の残りの部分をそのままにして、この制定法から「又はみだらな」情報データという用語を切り離すことが可能である。Pp.37-39。

(i)インターネットの成長を促進するという「重要な」法益がCDAの合憲性を支持する独自の根拠を示しているという政府の主張は、これだけでは説得力がない。このインターネットという新しい場が劇的に広がってきたことは、この主張の元となっている事実的な根拠と矛盾している。つまり「みだらな」そして「明らかに不快な」情報データを規制なく入手できるということが人々をインターネットから遠ざけているという主張と矛盾しているのである。P.40。

原判決(929 F.Supp.824)維持。


 スティーブンス判事が法廷意見を述べた。スカリア判事、ケネディー判事、スーター判事、トーマス判事、ギンズバーグ判事、ブレヤー判事が賛成。オコーナー判事は法廷意見に一部反対並びに一部賛成の意見を述べた。これにレンキスト主席判事が賛成。

スティーブンス判事による法廷意見


 本件で問題となっているのは、インターネット上での「みだらな」そして「明らかに不快な」通信から未成年者を守るために作られた制定法内の二つの条項の合憲性である。有害な情報データから子供達を守るという議会が目標とするものは正当で重大ではあるが、この制定法は修正第1条により保護される「言論の自由」を侵害するものであるという三人の連邦地方裁判所判事に当法廷は同意する(1)。

I


 この連邦地方裁判所は、多岐に亘る事実を認定し、その内の多くは当事者によって準備された詳細にわたる文書に基づくものであった。929 F.Supp 824(ED Pa.1996)830-849頁参照(2)。その事実認定は、インターネットの性格および領域、このメディアにおける性的に露骨な情報データの入手可能性、インターネット通信における受信者の年齢確認についての問題について述べている。これらの事実認定は、法的問題の土台となるのであるから、当法廷はまずは争われていない事実の要約から始めることとする。

 インターネット

 インターネットは相互に接続されたコンピュータからなる国際的なネットワークである。これは、1969年に「ARPANET」(3)と呼ばれる軍の実験計画として始まったものから生まれた。このインターネットは、防衛関連の研究を行っている軍、軍需企業、大学によって管理運営されるコンピュータが、たとえ戦争でネットワークの一部が損害を被ったとしても、別の経路で互いに通信できるように設計されたものであった。ARPANETはもはや存在しないが、それは、ネットワークが相互に接続し合うことにより、今日数千万人の人々が互いに通信し合い世界中にある膨大な量の情報にアクセスすることを可能にする民間ネットワーク発展の一つの具体例を見せてくれたのである。インターネットは「ユニークで全く新しい世界規模の人類の通信メディア」なのである(4)。

 インターネットは「異常な成長」を経験し続けている(5)。「ホスト」コンピュータ---情報を蓄え通信を中継するコンピュータ---の数は、1981年に約300であったものが裁判時の1996年までにおよそ9,400,000まで増加した。これらホストコンピュータの約60%が合州国内に置かれている。裁判当時約4千万の人々がインターネットを使い、この数字は1999年までには2億人へと急速に成長すると予想されている。

 個々人は、一般にホストそれ自身から又はホストの連合体といった多くの様々な情報源から、インターネットへのアクセスが可能となっている。多くの大学は学生や教員にインターネットアクセスを提供している。多くの企業はオフィースでのネットワーク経由で従業員にインターネットアクセスを提供している。多くの共同体や地方の図書館は無料のアクセスを提供している。店舗数を増加しつつある「コンピュータ喫茶店」は、少額の時間料金でアクセスを提供している。アメリカ・オンライン、コンピュサーブ、マイクロソフトネットワーク、プロディジーといった、いくつかの大手全米規模「オンラインサービス」は、自身の大規模な独自ネットワークへのアクセスと共にインターネット上のより大規模な情報源への接続を提供している。こうした商業オンラインサービスは、原審当時約1千2百万人の個人利用者を有していた。

 インターネットへアクセスできる者は、様々な情報通信検索方法を持つことにおいて有利な立場にある。これらの情報通信検索方法は絶え間なく進化しており精確に分類することが困難である。しかし、今日の理解によれば、本件において最も関連深いのは、電子メール(e mail)、自動メーリングリスト・サービス(「メール・エクスプローダー」時には「リストサーブ」と呼ばれる)、「ニュースグループ」、「チャットルーム」、そして「World Wide Web」である。これらの方法全てが、文章を送信するために用いることができる。その殆どは音、画像、動画を送信できる。これらの道具は、一体となってユニークなメディア---「サイバースペース」として利用者に知られているメディア---、特定の地理的場所に存在しているのではなく、世界中の誰でもどこでもインターネットアクセスが可能となるメディアを作り出している。

 電子メールは、個人が電子のメッセージ---一般にメモあるいは手紙に類似の---メッセージを受取人である別の個人あるいはグループに送ることを可能とする。メッセージは一般に、電子的に保存され、時には受取人が自分の「郵便受(mailbox)」をチェックするのを待って、そして幾つかの形式の警鐘という形でメールの到着を知らせる。メール・エクスプローダー(mail exploder)は電子メールグループの一種である。購読者は共通の電子メールアドレスにメールを送る。このメールアドレスはそのメッセージをグループの他の購読者へと転送する。ニュースグループも定期的に参加する者のグループを運営している。しかし、ニュースグループへの投稿は他の人達が読むことができる。このようなグループは数千ありそれぞれが特定の話題、たとえばワーグナーの音楽からバルカン諸国の政治情勢、エイズ(AIDS)防止からシカゴ・ブルズといったあらゆる範囲の話題についての情報や意見が交換されるのを促進するように活動している。およそ10万の新しいメッセージが毎日投稿されている。ほとんどのニュースグループでは、投稿記事は自動的に一定間隔で消し去られる。後からも読むことができるメッセージを投稿することの他に、もっと直接的に通信したい二人以上の個人は、リアルタイムの対話をするためにチャットルームに入ることができる。別の表現をすると、ほとんど同時に相手方コンピュータの画面に表示されるメッセージを互いに入力することによってリアルタイムの対話ができるのである。連邦地方裁判所は、いかなる時においても「数万人のユーザーが多岐に亘る話題についての会話を交わしている」と判示している(6)。「インターネットの内容は人間の思考と同じくらい多様なものであると結論づけるのは決して誇張しすぎているということはない」と言えよう(7)。

 インターネット上の通信において最もよく知られている分野は、World Wide Webであり、これはユーザーが遠隔地にあるコンピュータに蓄えられた情報を検索し入手することを可能としている。具体的な用語で説明すると、ウェブ(Web)は世界中にある様々なコンピュータに蓄積された膨大な数の文書から構成されている。これらの文書の幾つかは情報データを含む単なる文書ファイルである。しかしながら、一般にウェブ「ページ」と知られているより技巧的な文書が同様に一般化しているのである。それぞれが自身のアドレス(あえて言うと電話番号のようなアドレス)を持っている(8)。ウェブページは多くの場合情報データを含んでおり、時には閲覧者がそのページの(もしくは「サイトの」)作者と通信することも可能である。一般に、ウェブページは、そのサイトの作者によって作られた別の文書への若しくは(一般的に)関連している他のサイトへの「リンク」を含んでいる。一般的には、そのリンクは青色の文字もしくは下線のついた文字---時には画像で表示される。

 ウェブを操作することは比較的簡単である。ユーザーは、既知のページアドレスを入力するか、興味のある話題のサイトを探し出すために、一つもしくはそれ以上のキーワードを商業的「検索エンジン」に入力すればよい。或るウェブページは、「サーファー」によって探し出された情報を含んでおり、またはそのリンクによって、インターネット上のどこかに存在する別の文書への誘導路となることができる。一般に、ユーザーは、ページのアイコンやリンクのどれか一つをコンピュータ「マウス」でクリックすることによって、特定のウェブページを見て回り又は別のページに移動していく。たいていのウェブページへのアクセスは無料であるが、幾つかのページは商業プロバイダーから権利を購入した者だけにアクセスを認めている。よって、閲覧者の観点からすれば、ウェブは、容易に利用可能でインデックスの付いた何百万という出版物を含む巨大な図書館、そして商品とサービスを提供する拡大しつつあるモール、この両者にたとえることができよう。

 発行者という観点からは、ウェブは、意見を述べたり、読者、視聴者、研究者、購入者といった数百万人の世界規模の観衆から意見を聞く広大な発表の場を形成しているのである。コンピュータでインターネットに繋がった人や組織は誰でも、情報の「公開」ができるのである。情報発信者には、政府機関、教育機関、企業体、支援グループ、個人が含まれる(9)。発行者は、インターネット利用者全員が自分の情報データを利用できるようにするか、もしくは利用権の対価を好んで支払った者達といった選ばれたグループだけのアクセスに限定するかである。「いかなる組織もウェブの参加を管理することはできない。個人のウェブサイトやサービスがそのウェブからのアクセスを阻止できるような中央集権的な管理地点は存在しないのである」(10)。

性的に露骨な情報データ

 インターネット上にある性的に露骨な情報データとは、文章、画像、チャットを含み、「控えめで刺激的なものから強度のハードコアまでに及ぶ」(11)。これらのファイルは、性的に露骨でない情報データと同じ方法で、作成され名付けられ公開されており、的が絞りきれない情報検索を行う場合には、故意にあるいは無意識にのいずれかによってアクセスしてしまうこともできるものである。「或るプロバイダがインターネット上に自らのコンテンツを一旦公開すると、プロバイダは、あらゆるコミュニティにそのコンテンツが入り込んでいくのを防ぐことができない。」(12) 例えば、

「カリフォルニア大学リバーサイド・カリフォルニア写真博物館が、新しい展示展がボルティモアとニューヨーク市に行くことを公表するために、自らのウェブサイトにエドワード・ウェストン(Edward Weston)とロバート・メイプルソープ(Robert Mapplethorpe)のヌード写真を公開したとき、これらの画像は、ロサンゼルス、ボルティモア、ニューヨーク市だけでなく、シンシナチ、モービル、あるいは北京でも---インターネット利用者が住むところであればどこでも---見ることができる。同様に、クリティカルパス(Critical Path)が、10代の若い受信者が理解できるように、くだけた言葉で書かれた安全なセックスについての解説書は、フィラデルフィアだけではなく、プロボでもプラハでも読むことができるのである。」(13)

 外国が発信源となっているインターネット上の幾つかの通信にも、性的に露骨な情報データがある(14)。

 このような情報データは広く入手可能であるけれども、ユーザーが偶然にこのようなコンテンツと出くわすことは希である。「文書の表題あるいは文書の記述内容は、通常、文書そのものが出てくる前に現われる・・・そして多くの場合、ユーザーは、文書にアクセスするステップが必要となる前に、サイトのコンテンツについての詳細な情報を受け取るのである。ほとんどすべての性的に露骨な画像はそのコンテンツについての警告が先になされるのである」(15)。このような理由から、或るユーザーが性的に露骨なサイトに誤って入ってしまうことは、まさに「見込みは薄い」のである(16)。ラジオやテレビからの通信とは異なり、「インターネット上の情報を受け取る者は、ただ単純にダイヤルを回すということよりも慎重に指示を必要とする一連の積極的なステップを踏むことが要求される。子供が情報データを入手するため、そして大人が付いていなくてもインターネットを使うためには、子供には何らかの知的素養と読む能力が必要なのである」(17)。

 インターネットにアクセスできる自宅のコンピュータ上で親達が入手可能となる情報データを管理するのに助けとなるシステムが開発されつつある。或るシステムでは、成人向けの情報データを含んでいないと確認された情報源サイトにのみコンピュータ・アクセスを限定し、そのシステムが適切でないと指定されたサイトへのアクセスを阻止させることができる、もしくは、判読可能で問題となる特徴を持つメッセージを受け付けないように出来るのである。「親による管理ソフトウェアならば、特定の挑発的な言葉あるいはよく知られた性的に露骨なサイトへのアクセスを遮断することができるが、現段階では性的に露骨な画像を遮断することができない」(18)。しかしながら、「親達が自らの子供には不適切と信ずる性的に露骨な情報データに自らの子供がアクセスするのを防ぐことを可能とするに効果のある合理的な方法は、間もなく実用化されるであろう」と証拠が示している(19)。

年齢証明

 年齢証明の問題はインターネットの様々な利用方法ごとに異なる。「電子メール、メール・エクスプローダー、ニュースグループ、チャット・ルーム経由で情報データにアクセスしているユーザーの年齢や本人確認を判定する効果的な方法は存在しない」と連邦地方裁判所は断定的に判示している(20)。情報受信者とチャットルーム参加者を年齢でもってそのような場から遠ざけるのに信頼性が高い方法があるという証明を政府は全く行っていない。さらに、隠れて「みだらな」とか「明らかに不快な」投稿を読み出せるような芸術、政治や他の話題についての議論を行っているニュースグループやチャットルームへ未成年者がアクセスするのを技術的に阻止することが可能であるとしても、「たとえそのコンテンツの圧倒的多数がみだらな情報データではないとしても、未成年者がこれ以外のコンテンツにアクセスすることは認める」のであるから、未成年者がそのような情報データにアクセスすることを阻止することは実質的にできないであろう(21)。

 ウェブサイトの管理者が、クレジットカード番号や成人だけのパスワードといった認証方法で、要求された情報へのアクセスに制限を付ける技術は存在する。しかしながら、クレジットカードが使われる商取引に関連する場合か、あるいは認証機関への支払による場合か、いずれかにおいてのみクレジット・カードによる認証は可能である。年齢証明の代わりとしてクレジットカードの所持を利用することは、非商業的ウェブサイトに金銭的負担をかけることになろうし、これは非商業的ウェブサイトに閉鎖を余儀なくさせてしまうであろう。そのような理由から、原審の時点で、クレジットカードによる認証は、「インターネットのコンテンツ・プロバイダの相当数は効果的に利用できなかった」のである。同846頁(認定事実102)。それ以上に、そのような条件を課すことは「クレジット・カードを持たない成人そしてクレジットカードを入手する財力に欠ける成人がアクセス限定された情報データにアクセスするのを禁ずることとなろう」(22)。

 アクセスに対してユーザーに代金請求する商業ポルノサイトは、年齢証明の方法として、ユーザーにパスワードを割り当ててきた。訴訟記録には、このような技術の信頼性に関する証拠は全く含まれていない。パスワードがみだらな情報データの商業的供給者にとってはたとえ効果的であるとしても、パスワードをつけることはユーザーがウェブサイトにアクセスすることを思いとどまらせる、そしてそのような選別するシステムを作りだし維持していくコストは「非商業的ウェブサイトにはまかない切れない」であろうという二つの理由から、成人パスワード要件は、非商業的ウェブサイトに過大な負担をかけることになろうと、連邦地方裁判所は判示した(23)。

 まとめると、連邦地方裁判所は次のように判断した:

 「たとえクレジット・カードによる認証もしくは成人パスワードによる認証が設置されたとしても、そのようなシステムが、パスワードとかクレジット・カードを持つユーザーが実際に18歳以上であることをどのように確認できるかについての証拠を政府は全く提示していない。クレジット・カード認証と成人パスワード認証システムによって課される負担により、ユーザーがインターネットコンテンツ・プロバイダの相当数を実質的に利用できないようになってしまう。」 同上(認定事実107)。

II


 1996年の通信法(Pub.L.104-104,110 Stat.56)は立法府による特に重要な立法であった。この法の始まり103頁において述べられているように、この法の主たる目的は規制を緩和し、「新しい遠距離通信技術の迅速な配備」を奨励することであった。この制定法の主たる構成部分はインターネットとは全く関係がない。その制定法は、地方の電話サービス市場、多チャンネルビデオ市場、電波通信放送市場での競争を促進するように作られたものである。この法は七編を含み、そのうちの六編は、多岐に亘る聴聞会から生み出されたものであり、上院と下院の委員会によって提出された報告書における議論の主題でもあった。これと対照的に、「1996年の通信品位法」(CDA)として知られる第5編は、聴聞会終了後に執行委員会で付け加えられたか、あるいは立法についての議院の議論中に出された修正として出された条項を含んでいる。上院で出された修正案が、本件で問題となっている二つの条項の源であった(24)。この二つの条項は、非公式に「みだらな通信」条項と「明らかに不快な表示」条項と表現されている(25)。

 一番目の条項、47 U.S.C.A.223(a)条(Supp.1997)は、わいせつ又はみだらなメッセージと知りながら18歳未満のいかなる受信者へも伝達すること禁止している。この条項は、関連する箇所において次のように規定している。

「(a)(1)州際又は国際通信において、(B)遠隔通信機を用いて、通信の相手方が18歳未満であることを知りながら、わいせつな又は下品な(indecent)論評、依頼、仄めかし、申し出、映像、又はその他の通信をなした者は、通信を行った者がその通信の製作者であると否とにかかわらず、合州国法律集18編に基づく罰金又は二年以下の自由刑に処せられ、若しくはこれらの刑を併科される。
 (2)前項の行為のために使用されることを知りながら、自己の管理下にある遠隔通信施役を前項で禁止された行為のために使用させた者も前項と同様とする。」

 二番目の条項、223(d)条は、18歳未満の者が利用可能な方法で、明らかに不快なメッセージを、送ったり表示することを禁じている。次のように規定している:
 (d)「(1)州際又は国際通信において、文脈上、現在の社会の基準に照らし明らかに不快な方法で性行為、性器、排泄行為又は排泄器官を故意に描写又は記述した論評、依頼、仄めかし、申し出、映像、又はその他の通信を
 (A)18歳未満の特定の者に送信するために多方向のコンピュータ・サービスを使用し、又はこれを
 (B)18歳未満の者に利用可能な方法で表示するために多方向のコンピュータ・サービスを使用した者は、通信を行った者がそのサービスの利用者であると否とにかかわらず、合州国連邦法第18編に基づく罰金又は二年以下の自由刑に処せられ、若しくはこれらの刑を併科される。
 (2)前項の行為のために使用されることを知りながら、自己の管理下にある遠隔通信施設を前項で禁止された行為のために使用させた者も前項と同様とする。」

 これらの禁止条項の適用範囲は二つの積極的抗弁によって狭められている。223条(e)項(5)号参照(26)。その一つは、禁じられた通信に未成年者がアクセスするのを制限するために「誠実で、合理的で、有効でかつ適切な措置」を講じた者を対象としている(223条(e)項(5)号(A))。もう一つは、クレジット・カードや成人であることを確認する身分確認番号などといった特定の年齢証明の形式を要求することにより、目に付かないようにしてある情報データへのアクセスを制限した者を対象としている(223条(e)項(5)号(B))。

III


 1996年2月8日、合州国大統領がこの制定法に署名した直後、20人の原告(27)が合州国司法長官と司法省を相手取り、223条(a)項(1)号と223条(d)項の合憲性判断を求めて訴を起こした。この一週間後、連邦地方裁判所バックウォルター判事は、その「みだらな」という用語が余りにも曖昧で刑事処罰の判断基準とは為っていないという結論でもって、223条(a)項(1)号(B)(ii)がみだらな通信に適用される限りにおいてはこの条項の施行の仮差止を認めた。第二の訴訟は、さらなる27人の原告(28)によって提起され、この二つの訴訟は併合され、当該法561条に基づき三人の裁判官による連邦地裁法廷が開かれることとなった(29)。証拠調べの後、この裁判所は、問題となっている二条項の施行に対し仮差止命令を出した。三人の裁判官は仮処分それぞれ個別の判決理由を書いたが、判決そのものは全員一致であった。

 スロバイター主席判事は、「オンライン上の情報データをCDAの適用範囲に入れるもしくはひょっとすると適用範囲に入るかもしれないという広範な適用範囲」を政府が規制する権限の大きさに疑問を持ったが、その権限はいくつかの情報データについては「有無を言わさず」適用しなければならないものであることをも認めた。929 F.Supp.,853頁。これにもかかわらず彼女は、当該制定法が「必要以上に広範囲にわたるものであり、よって成人の表現の自由を萎縮させる」ものであり、「明らかに不快な」、「みだらな」という用語が「そもそも明確でない」と結論付けた。同854頁。彼女は同じく、読者となろう者が必要としない通信を排除できるような形で情報データに「目印を付ける」ことによってプロバイダーは責任回避できるという議論を別個に考慮した上で否定し、積極的抗弁は「ほとんどのプロバイダーにとって技術的にも経済的にも実現可能」ではないと判断している。同856頁。スロバイター首席判事はまた、この制定法の適用範囲はこの法が商業的ポルノ業者だけに適用されると解釈することによって、この制定法の適用範囲を狭めることが可能であるという政府の主張をも否定した。同854-855頁。

 バックウォルター判事は、223条(a)項(1)号(B)における「みだらな」という言葉そして223条(d)項(1)号における「明らかに不快な」と「文脈において」という用語が、あまりにも曖昧であり、両項の刑事処罰規定いずれかは「絶対的な公正」という「憲法上の基本原則」に反するものであり(同861頁)、修正第1条と修正第5条による保護に反するものである(同858頁)と、結論づけた。彼は、わいせつ性とは異なり、「みだらなことは真面目な文学的、芸術的、政治的、科学的価値を持つ作品を除外するように定義されてきてはいない」と述べつつ(同863頁)、問題となっている規定は「ポルノ」的情報データにのみ適用されるものであるという政府の主張には制定法上の根拠がないと考えた。それ以上に、その作品が「文脈において」明らかに不快なものと考えられなければならないという政府の主張は、関連する文脈は「とりわけ通信全体の性質、その作品が通信された日時、使われたメディア、発言者の特徴、その作品が適切な警告を伴っているか否かに関するもの」(同864頁)とするであるから、主張それ自身が曖昧であるとする。彼は、インターネットの特異な性質がこの制定法の曖昧さを悪化させていると確信している。(同865頁注9)。

 ダルツェル判事は、証拠によって明らかとなった「インターネット通信の特異な性質」を審理することにより、修正第1条は議会にはインターネット上の保障される言論内容を規制する権限を与えてはいないと確信している(同867頁)。彼の意見は、商業的ポルノ業者が対照的に全く影響を受けないままでありながら(同879頁)、一方でこの法が明確に保障された言論、とくに非商業的な発言者による言論を萎縮させてしまうと、なぜ確信したのかを十分に説明している。彼は、マスコミ規制を分析する「メディアの特定」手法を必要とする事件と本件を解釈し(同873頁)、インターネットは---「発達しつつある最も多くの人による言論に参加する形式」として(同883頁)---「政府の干渉から最も保護されるべきもの」(同)(30)と結論づけている。

 連邦地方裁判所の判決は、223条(a)項(1)号(B)における禁止条項が「みだらな」通信に関連するものではあるが、その条項中で禁止されているわいせつ物とか児童ポルノ行為を捜査訴追する権限を政府に留保させる限りにおいては、政府がこれらの禁止条項を施行することを差し止めるものであった。223条(d)項(1)号と(2)号の施行に対する差止命令は、これらの規定にはわいせつ物とか児童ポルノについての個別の言及はなされていないので、認められなかった。

 政府は、当該法の特別審査条項561条(110 Stat. 142-143)に基づき上訴し、当法廷は可能な管轄権について述べた。519 U.S.(1996)参照。その上訴で政府は、CDAが広範囲過ぎるが故に修正第1条に違反し、曖昧故に修正第5条に違反すると連邦地方裁判所が判示したことに誤りがあると主張した。当法廷は修正第1条による過度の広範性問題からCDAの曖昧さを議論する一方で、修正第5条問題に行き着くまでもなく原審は支持されるべきだと結論に至った。当法廷は、政府が依拠する主たる典拠を検討することにより当法廷の分析を始めることとする。そして、CDAの過度の広範性について述べた後に、CDAの適用範囲を分割するか裁判所による制限に適合させるかにより当該制定法の一部分を当法廷が救済し得るという付託意見を含めて、政府の個別の主張について考察することとする。

IV

 原判決を破棄させるための議論において、政府は当法廷の三つの先例に照らして明らかにCDAは合憲であると主張する。それは、(1) Ginsberg v. New York, 390 U.S. 629, 20 L. Ed. 2d 195, 88 S. Ct. 1274 (1968); (2) FCC v. Pacifica Foundation, 438 U.S. 726, 57 L. Ed. 2d 1073, 98 S. Ct. 3026 (1978); and (3) Renton v. Playtime Theatres, Inc., 475 U.S. 41, 89 L. Ed. 2d 29, 106 S. Ct. 925 (1986)である。しかしながら、これらの判決をより詳しく検討すると、CDAへの救済を差しのべると言うよりも、むしろCDAの合憲性について疑いが生じてくるのである。

 Ginsberg判決で、当裁判所は、17歳未満の未成年に、成人にはわいせつでないとしても17歳の未成年者にはわいせつと考えられる情報データを売ることを禁止しているニューヨーク州制定法の合憲性を支持した。当裁判所は、「セックスに関する情報データを見たり読んだりするという合州国市民に保障される憲法上の表現の自由の範囲は、その市民が成人であるか未成年者であるかによって、決定されうるものではない」(390 U.S. 636頁)という被告側の広範な付託意見を否定した。被告側の主張を否定するにおいて、当裁判所は若者を健全に育成するというその州独自の権限のみならず、「子供の育て方を決めるという家庭内での権威を親が求めることが我々の社会組織における基礎である。」という当法廷の一貫した法理を認めることにも依拠したのである(31)。四つの重要な点において、Ginsberg判決で支持された制定法はCDAよりもより範囲が狭いものであった。第一に、当法廷はGinsberg判決で、「未成年者への販売を禁止することは、販売を望む親が子供のために雑誌を買ってやることを禁じてはいない」(同639頁)ことを指摘した。これとは反対にCDAの下では、通信において、親が同意しても親が参加することでも、その制定法の適用を免れないのである(32)。第二に、ニューヨーク州制定法は商業的な取引のみに適用され(同647頁)るが、CDAはこのような制限を含んでいないのである。第三に、ニューヨーク州制定法は、「未成年者にとって全く社会的重要性がない」(同646頁)ものであるという要件でもって、未成年者にとって有害な情報データの定義を上手くまとめた。CDAは、223条(a)項(1)号で用いられる「みだらな」という用語の如何なる定義をも我々に示すことはなく、もっと重要なのは、223条(d)項の適用を受ける「明らかに不快な」情報データが、真摯な文学的、芸術的、政治的、科学的な価値を欠いているものだとする要件を提示しないままである。第四に、ニューヨーク州制定法は、未成年者を17歳未満と定義しているが、CDAは、18歳未満の者全てに適用されることで、ほとんど成人に達した者に更にもう一年を加えているのである。

 Pacifica判決で、過去に生放送で配信された「下品な(Filthy)な言葉」と題された12分間にわたるモノローグの録音を放送することが、「行政罰の対象となり得る」(438 U.S. 730頁、そこでの引用は省略)と判示して、当裁判所は連邦通信委員会(Federal Communications Commission)の宣言的命令を支持した。この委員会は、「子供達が聴衆となっている午後の放送において、排泄行為や性行為や性器に関する特定の言葉を繰り返しの使用することは明らかに不快であった」と判断し、このモノローグは「放送として」みだらなものと結論付けた(同735頁)。被上訴人は、午後の放送が明らかに不快であったという認定に対して争わなかったが、扇情的に訴えるものを含んではいなかったのであるから、関連する制定法の意味の範囲内では「わいせつ」ではなかったと争った。被上訴人側の制定法解釈の議論を否定した後、当裁判所は二つの憲法問題と対峙した。(1)わいせつな言論を禁ずる主体についての委員会の解釈が過度に広範なため、たとえその問題となっている放送が権利上保障されないものであるとしても、委員会の命令は破棄されなければならなかったか。(2)録音はわいせつではなかったのであるから、録音をラジオで放送する権利が制限されることを、修正第1条は禁じてはいないのではないか。

 パウェル判事とブラックマン判事が加わらなかった法廷主意見の一部において、多数派は修正第1条は言論の内容によって行う政府規制の全てを禁じているのではない(同742-743頁)と述べた。したがって、わいせつではないが粗野で不快なモノローグに対する憲法上の保護も放送された状況に依る(同744-748頁)とした。「すべての通信形態について」放送することは最も限定された形での修正第1条による保護を受ける(同748-749頁)という前提に立ち、原審は、子供達が放送へアクセスできるようになるための緩和策は、「Ginsberg判決で認められた事項と一体となって」、みだらな放送に対する特別な扱いを正当化していると判示した(同749-750頁)。

 Ginsberg判決で問題となったニューヨーク州制定法についていえば、Pacifica判決によって支持された命令とCDAの間には大きな違いがある。第一に、Pacifica判決での命令は、数十年に亘りラジオ放送を規制してきた政府機関によって出されたものであり、特定のメディアでこのような番組を放送することが許可されるか否かではなく、何時それが許可されるかを決定するために、伝統的な番組内容とはかなり内容を異にするような特定の放送を対象としているのである。CDAの広範に亘る禁止条項は、特定の放送時刻に限定されたものではなく、インターネットの特異な性質に精通した政府機関が行う評価に全く依拠するものでもない。第二にCDAと異なり、委員会の宣言的命令は懲罰的なものではない。当法廷は、わいせつな放送が「刑事事件としての訴追を正当化する」か否か判断することを明白に拒絶した(同750頁)。最後に、大体において、予想できない番組内容から聴取者を十分に守ることが警告ではできないのであるから、委員会の命令は、歴史上「もっとも制限された修正第1条の保護を受けてきた」メディアに適用されたのである(同748頁)。しかしながら、インターネットは同じような歴史を持ってはいない。さらに、連邦地方裁判所は、特定の情報データにアクセスするには一連の積極的なステップが必要とされるのであるから、偶然にわいせつな情報データに遭遇する危険性は少ないと判断した。

 Renton判決で、当裁判所は 成人映画館を住宅地域から遠ざけるという区域指定条例を支持した。この条例は、その成人映画館で上映される映画の内容を問題としたのではなく、むしろ犯罪とか不動産価値の低下といったような、これらの映画館が醸し出す「第2の効果」を標的としたものであった。「それは、『不快な』言論を広めることではなく、これらの区域指定条例が回避しようとする二次的な効果なのである」(427 U.S. 49頁: Young v. American Mini Theatres., 427 U.S. 50,71頁註34(1976))を引用している)。政府によればCDA は、インターネット上に一種の「サイバー指定区域(cyberzoning)」を形成しているのであるから合憲であるとする。けれどもCDAは、サイバースペースの全域に広く適用されるのである。そして、CDAの目的は、このような言論における「第二の」効果というよりも、子供達を「わいせつな」そして「明らかに不快な」言論の持つ一次的効果から子供達を守ることにある。よって、CDAは、言論に対して内容に基づく全面的禁止制限であり、そして、そのままでは「時間、場所、方法という形式で精確に分析する」ことができ得ない(475 U.S. 46頁)。Boos v. Barry, 485 U.S. 312,321頁(1988)(「聴衆に直接的に与える言論のインパクトに注視した規制」は、Renton判決の下では正しく分析されていない)、Forsyth County v. Nationalist Movement, 505 U.S. 123,134頁(1992)(「言論への聴取者の反応は、規制のための中立的な内容判断基準とはならない」)、参照。

 そこで、これらの先例は間違いなく、当法廷にCDAを支持するように求めてはおらず、CDAの条項に最も厳しい再検討を加えることが最も首尾一貫するのである。

V

Southeastern Promotions, Ltd. v. Conrad, 420 U.S. 546, 557 (1975)判決において、当裁判所は、「表現活動を行うメディアそれぞれが、自身の問題を露呈し得る」ことを認めた。よって、当裁判所の先例のいくつかが、別の情報発信者には適用され得ない放送メディアへの規制だけに対する特別な正当化事由を認めてきている。Red Lion Broadcasting Co. v. FCC, 395 U.S. 367 (1969)、 FCC v. Pacifica Foundation, 438 U.S. 726 (1978)を参照。これらの判決において、裁判所は、放送メディアに対する広範囲にわたる政府規制の歴史を拠り所としている。例えば、Red Lion 395 U.S., 399-400頁参照。開局当初の割当可能な周波数不足問題については、例えば、Turner Broadcasting System, Inc. v. FCC, 512 U.S. 622(1994) 637-638頁参照。放送メディアの「一方的に情報を送りつける」性質については、Sable Communications of Cal., Inc. v. FCC, 492 U.S. 115(1989)128頁参照。

 これらの要因はサイバースペース上では存在していない。CDAが制定される前も後も、インターネット上にある広大で民主主義的な公共の場は、放送業界にもたらされてきた政府の監督規制というものを受けてはこなかった(33)。さらに、インターネットはラジオあるいはテレビのように「勝手に入り込む」ものではない。連邦地方裁判所は特に「インターネット上の通信は個人の家庭内に『勝手に入り込む』ものではなく、呼び出さなければコンピュータ・スクリーン上に現われはしない。ユーザーが『偶然』にも[そうした]内容と出くわしてしまうことは殆ど無い」と判示したのである(929 F. Supp.844頁(事実認定88))。連邦地方裁判所はまた、「性的に露骨な画像の殆どが画像内容についての警告の後に出てくる」と判示し、そして「ユーザーが偶然に性的に露骨な光景を見つけるであろう『見込みは薄い』」という証言を引用してる(同上)。

 当裁判所は、Sable判決(492 U.S. 128頁)において、まさに次のような判断基準に基づいて、Pacifica判決とは異なると判断した。Sable判決において、予め録音された性的な電話メッセージ(「ダイアル・ポルノ(dial a porn)」として一般に知られている)を提供することを業とする会社が、わいせつと同時にみだらな州際間の商業的電話メッセージ・サービスを全面的に禁止する通信法への修正条項の合憲性について争った。当裁判所は、その制定法がわいせつなメッセージには適用されるがみだらなメッセージに適用する場合は無効であるという限りにおいて、この制定法は合憲であると判示した。わいせつな商業的電話メッセージ・サービスを完全に禁止し刑事処罰を加えることを正当化するのに、政府はPacifica判決を根拠として、この禁止はそのようなメッセージに子供がアクセスするのを防ぐためにも必要であると主張した。肉体的にも精神的にも未成年者の健全な育成を守ることに強制力を持つ権限が存在し、そして、この権限が、大人の判断基準ではわいせつではないみだらなメッセージから未成年者を守ることにまで広げられ(492 U.S.,126頁)、当裁判所のPacifica判決では完全な禁止を含んでおらず且つ別の通信メディアを含んでいたのであるからPacifica判決における「極めて狭い判断」とは区別されるものであること(同127頁)に当裁判所は同意したのである。当裁判所は「ダイアルするメディアは、聴取者がその通信を受け取るのに積極的なステップを踏むことを必要とする」(同127-128頁)ことを説明した。そして「電話をかけることは」と更に続けて「ラジオのスイッチを入れてわいせつなメッセージに驚かされることとは同じではない」と説明したのである(同128頁)。

 最終的に、議会が初めて放送帯域規制を認めたとき一般的であった状況とは異なり、インターネットは、「ごく希な」表現を行う日用品とは考えることはできないのである。インターネットは、むしろ無限であって、あらゆる種類の通信に対する低価格の許容を提供しているのである。政府は「今日四千万人もの人々がインターネットを利用しており、この数字は1999年までには二億人になる」(34)と予想している。このダイナミックで多方面にわたる通信分野は、伝統的な印刷物と新聞報道だけでなく、オーディオ、ビデオ、静止画像そして双方向のリアルタイム対話をも含むのである。チャットルームを使えば、電話回線で結ばれたあらゆる人が、いかなる街頭演説台から響き渡る声よりも大きな声を持つ町の触れ役に成れるのである。ウェブ・ページ、メール・エクスプローダー、ニュースグループを使うことにより、同じ個人がちょっとした物書きに成ることができるのである。連邦地方裁判所が判断したように、「インターネット上のコンテンツは人間の思考と同じぐらい多様である」(929 F.Supp.,842頁(事実認定74))。当法廷は、本件にはこのメディアに適用されるべきであるとする修正第1条による精査のレベルを満たす根拠がないという地裁の結論に同意するものである。

VI

 CDAはあまりに不明瞭であり修正第5条違反であるか否かにかかわらず、CDAの適用範囲に関する多くの曖昧さが、それ自身を修正第1条の目的に照らして問題となっているのである。たとえば、CDAにおける二つの部分がそれぞれ異なった言語表現形式を用いている。最初のものは「わいせつな」という用語を用い(47 U.S.C.A. 223(a)条 (Supp. 1997))、第二のものは、「文脈において、今日の社会的基準によって測られる明らかに不快という用語において、性行為、排泄行為あるいは性器を描写したり記述した」情報データについて語っている(223(d)条)。いずれの用語の定義もなされていないとすれば(35)、言葉における差異が、この二つの基準が互いにどのように関連し合うのか(36)、そしてこれらは何を意味しているのか(37)について発言者間で疑念をいだかせるであろう。産児制限のやり方、同性愛問題、当裁判所のPacifica判決における法廷意見への補遺による修正第1条問題、刑務所内での強姦事件の結末といったものについての真面目な議論が、CDA違反にはならないだろうと、発言者は確信を持って予測できるであろうか。この不確実性は、未成年者を隠された有害な情報データから守るという議会の目標に適うようにCDAは注意深く適用されていくという可能性を弱めてしまっているのである。

 CDAの曖昧さは、二つの理由において特に問題となっている。第一に、CDAは内容に基づく言論の制限である。そのような規制の曖昧さは、言論の自由に明白な萎縮効果をもたらすが故に特に修正第1条問題となる。Gentile v. State Bar of Nev., 501 U.S. 1030,(1991), 1048-1051頁参照。第二に、CDAは刑事処罰規定である。刑事処罰の恥辱や汚名に加えて、CDAはそれぞれの違反行為に対して最高で2年の禁固刑を含めた処罰でもって違反者を威嚇しているのである。刑事処罰の厳しさが、間違いなく不法な言葉や思想や画像を通信することよりも、発言者が沈黙することを強いるのも無理はない。Dombrowski v. Pfister, 380 U.S. 479,(1965) 494頁参照。実際の問題として、このことは、抑止効果を助長し、曖昧な規制による「差別的な強要の危険」と結びつき、Denver Area Ed. Telecommunications Consortium, Inc. v. FCC, 518 U. S. (1996)判決において検討された民事的な規制に関連づけられた修正第1条問題よりもより重大な問題を呈している。

 政府は、わいせつの判断基準がMiller v. California, 413 U.S. 15 (1973)判決で当裁判所が確立したわいせつの判断基準と同じくCDAは不明瞭ではないと主張した。しかしその判決はそうではない。Miller判決において、当裁判所は、性的な露骨な行為の写真を含んだ小冊子を要求もしていない個人に郵送した商業的販売者に対する刑事処罰を検討したのである。同18頁。わいせつの定義を確立するのにしばらくの間奮闘した後、当裁判所はMiller判決において今日でも機能しているわいせつ性テストを明らかにしたのである。

 「(a)平均的な人が現代の一般社会の基準を適用して、その作品が、全体として、扇情的な好奇心に訴えるものか否か。(b)その作品が、明らかに不快な方法で、適用される州法により特に定義される性行為を描写または記述しているか。(c)その作品が、全体として、真面目な文学的、芸術的、政治的、科学的価値を持っていないか」(同24頁、内部の引用符と引用は削除)

 CDAが「明らかに不快な」という基準(そして当法廷は議論において、この同意語「みだらな」という基準も同様に)は、Miller判決における三又のテスト方法の一部であるから、政府は、CDAは憲法に違反するほど曖昧ではないと、理由付けるのである。政府の主張は、実際に正しくない。Miller判決における三又のテスト方法での第二番目---いわゆる類似性の基準---は、CDAには欠落している重要な要件を含んでいるのである。つまり禁止される情報データは、「適用される州法により特に定義されて」いなければならないのである。この要件は、CDAの中で用いられていた「明らかに不快な」という大まかな用語における潜在的な曖昧さを少なくするものである。それ以上に、Miller判決の定義は「性行為」に限定されたものであったが、CDAはまた(1)「排泄行為」とともに(2)性および排泄の両「器官」を含ましめることまで拡大している。

 政府の理由付けにはまた欠陥がある。三つの制限を含む定義が不明瞭であるからということで、これらの制限の一つが、単独では不明瞭ではないということにはならない(38)。Miller判決において付け加えられた二つのテスト方法---(1)全体としてとらえて、その情報データが扇情的な好奇心に訴えかけている、(2)その情報データが「真面目な文学的、芸術的、政治的、科学的価値を欠いている」---これらが各々に、わいせつ性の定義が無制限に広がることを批判的に抑えているのである。「明らかに不快」と「扇情的な好奇心」という判断基準とは異なり、現代の社会的判断基準では計れないものであるから、第二の要件は特に重要である。Pope v. Illinois,481 U.S. 497,(1987)500頁参照。CDAには見られないこの「社会的価値」という要件は、法律問題として社会的価値に対する国家的な最低線を決めることによって、控訴裁判所がなんらかの制限や規制を課すことを可能にしている。裁判所がCDAの判断基準に対してそうした法的制限を与えることができるであろうという政府の主張は、社会的判断基準に基づき情報データが「明らかに不快」であるか否かを陪審に決定させるというMiller判決独自の論理、つまりそのような問題は本質的に事実問題であるという論理によって、誤って理解したものである(39)。

 Miller判決および他の当裁判所における先例とは対照的に、CDAはこのように、実際はこの制定法の適用範囲外となる言論の検閲をも行うという脅威を呈しているのである。この制定法の適用範囲の外郭が不明瞭であるとすれば、CDAは、自らの発言内容が憲法上保障されるはずの発言者の何人かを、間違いなく沈黙させてしまう。その危険性は、制定法は過度に広範であってはならないと主張することに更なる根拠をもたらす。保障される言論に課されるCDAの負荷は、仮にその負荷がより注意深く起草された制定法ならばより回避できるとしても、正当化され得ない。

VII


 当法廷は、制定法が言論内容を規制しようとするとき修正第1条が求める厳格性をCDAが欠いていることに同意する。隠された有害な言論に未成年者が接することを否定するために、CDAは結果として憲法上認められた権利として成人が互いに受け取り発する言論の多くを抑圧してしまうのである。成人の言論に課すその負荷は受け入れられない。

 成人の言論の自由という権利を評価するにあたり、当裁判所は、「みだらなものであるがわいせつではない性的な表現は修正第1条で保護される」ことを十分に明確にしてきた。Sable, 492 U.S. 126頁、Carey v. Population Services Int'l, 431 U.S. 678, 701頁 (1977)参照(「わいせつ性が含まれない場合、当裁判所は、修正第1条保護を受ける言論が誰かにとって不快なものであるという事実が、言論の自由の抑圧を正当化することはないと一貫して判示してきた。」)。事実、Pacifica判決それ自身が「社会が言論を不快なものと判断するという事実は、言論を抑圧する十分な理由とはならない」と説明しているのである。438 U.S.,745頁。

 当裁判所が、子供達を有害な情報データから守ることに対する政府の権限を繰り返し認めてきたことは確かである。Ginsberg判決390 U.S.,639頁、Pacifica判決438 U.S.,749頁参照。しかしこの権限は、成人向の言論を不必要なまでに広範に亘り抑圧することを正当化し得ない。当裁判所が説明してきたように、政府は「成人の数を子供向けのものだけを見る人の数にまで減らす」ことはできないのである。Denver判決518 U.S.(判決速報29頁)(内部の引用符は省略)(Sable判決492 U.S.,128頁を引用)(40)。子供達を守るという「政府の権限の強さ如何にかかわらず」、「郵便箱に届く会話のレベルは、子供が遊ぶ砂場でふさわしいレベルに下限されてはならない」のである。Bolger v. Youngs Drug Products Corp., 463 U.S. 60, (1983),74-75頁。

 Sable判決において無効とされた「ダイアル・ポルノ」への禁止にCDAは実質的に酷似していると、連邦地方裁判所が結論付けたことは正しかった。(929 F.Supp., 854頁) Sable判決において(492 U.S.,129頁)、活き旺盛な若者達がわいせつな通信へアクセスすることを防ぐのに効果的なのは全面的な禁止以外にないという議会の判断に、裁判所は判断をゆだねるべきであるという主張を当裁判所は退けた。よって、言論の自由が制定法により規制されるのは、性的に露骨な情報データに子供達がさらされないようにするという目的で行われたという単なる事実では、この制定法の有効性についての疑念を晴らすものではないということを、Sable判決は明確にしたのである(41)。当法廷が最後の開廷時に指摘したように、この制定法の目的を達成するために「不必要に大きな規制を言論に課すことのないように」議会は制定法案を立案しているのだということを明らかにするための「最優先されるべき委員会付託」を、この疑念が具体化させたのである。Denver判決、518 U.S.(判決速報11頁)。

 CDAは成人間の通信を萎縮させないと論ずるにあたり、伝達される情報を受信する者の一人が未成年者であると分かっている時は常に情報伝達を禁ずるということは、成人から成人への通信を妨げないという間違った事実的前提の上に政府は立っている。連邦地方裁判所の判断は、この前提が成り立たないことを明確にしている。メッセージの殆どを見るであろう潜在的な聴衆の数を考慮すると、現実的には年齢確認作業ができない場合、送信者は、一人もしくはそれ以上の未成年者が恐らくはこのメッセージを見るであろうことを知っていた点において、咎められなければならない。たとえば、100人のチャットグループ内の一人もしくはそれ以上のメンバーが未成年者であったような場合、---したがって、そのグループにみだらなメッセージを送ることは犯罪となるであろう---という知識を持つことは、成人間での通信には間違いなく重荷となるであろう(42)。

 連邦地方裁判所での審理時に存在していた技術には、インターネット上で成人がアクセスすることを禁止せずに未成年者がその通信へのアクセスができないように送信者が行う有効な規制手法が含まれていなかった。連邦地方裁判所は、電子メール、メール・エクスプローダー、ニュースグループ、チャットルームを通じて情報にアクセスするユーザーの年齢を判定する有効な方法を見い出してはいない。929 F.Supp 845頁(事実認定90-94)。実際の問題として、非商業的---また幾つかの商業的---なウェブサイト発信者が、利用者が成人であることを確かめることは法外に高価につくであろうことを連邦地方裁判所はまた認めている。同845-848頁(事実認定95-116)(43)。これらの制限は不可避的にインターネット上での成人通信のかなりの量を萎縮させるに違いない。これと対照的に、連邦地方裁判所は、「その制限にもかかわらず、今利用できるユーザー向けのソフトウェアは、親が自らの子供に見せるには不適切と考えるであろう性的に露骨な情報に子供達がアクセスしないようにできる合理的で有効な方法が間もなく広く一般に利用できるようになる可能性を示唆している」と判示した。同842頁(事実認定73)(傍点附加)。

 CDAの適用範囲の広がりは、全く先例に基づいていない。 Ginsberg判決とPacifica判決で支持された規制とは異なり、CDAの適用範囲は営利目的の言論や営利団体に限定されていない。CDAの際限のない禁止条項は、あらゆる非営利団体を含み、個人的に行われるみだらなメッセージの投稿や未成年者の面前で自らのコンピュータ画面にみだらなメッセージを表示することをも含むものである。「みだらな」と「明らかに不快な」という一般に定義されていない用語は、真面目な教育的価値や何らかの価値をもった非ポルノ情報の多くをもカバーしてしまう(44)。さらに、インターネットに「コミュニティー基準」という判断基準が適用されるということは、どのような通信が全国規模の聴衆に配信可能かが、そのメッセージによって感情を害される最も可能性が高いコミュニティーの判断基準によって、判断されることとなろう(45)。どのような題材が規制を受けるのかという問題は、Pacificaのモノローグで使われた七つの「禁句」のいずれかを含むかどうかであり、この禁句を使うことを、政府の専門家は重罪(felony)と考えたのである。Olsen Test,翻訳第5巻53:16から54:10参照。それは同じく、刑務所内での強姦や安全な性行為についての論議、ヌードといった題材を含んだ芸術的イメージ、そしてカーネギー図書館のカードカタログにまでに及ぶかも知れないのである。

 当法廷が判決を下すために、いかにメッセージが価値あるものであろうとも、両親の同意を考慮することなく、17歳に向けられたすべての「みだらな」そして「明らかに不快な」メッセージに対して包括的な禁止を行うことを修正第1条は禁じてはいないという政府提出の意見書を、当法廷は受諾も拒否もする必要はない。未成年者を守るという政府の権限の強さが、この制定法の広範な適用範囲すべてに通じて等しく強大ではないということだけは少なくとも明白である。CDAの下では、親が適切であると判断する情報を得る目的で17歳の娘に家庭のパソコンを使うことを認めた母親が、長い受刑期間に遭遇することもあり得る。U.S.C.A.47巻223条(a)項(2)号(Supp.1997)参照。同様に、電子メールで17歳の大学一年生の息子に避妊についての情報を送った父親は、たとえ自分自身も息子もこの故郷の人々誰もが、その情報データが「みだら」とか「明らかに不快な」ものと考えなくても、息子の大学のある町の人々がそう考えたなら、投獄されることもあり得るのである。

 言論の内容に基づいて行うこの規制の過度の広範性故に、なぜより限定的な条項がCDAと同様に効果的ではないのかを説明することには、政府には特に重い責任が課されているのである。しかるに、これはなされてこなかった。当法廷での論議は、家庭内に入ってくる情報データについて親が管理できるようにする方法として、みだらな情報データに「目印をつける」ことを要求するとか、芸術的・教育的価値を持ったメッセージは例外と判断できるようにするとか、親が選択するのに何らかの許容範囲を提供するとか、インターネットの或る一部分、たとえばチャットルームのような営利目的のサイトといった他とは異なる部分を特別に規制するといった、可能な代替手段についての言及に終始していた。特に、議会では何らかの詳細な調査結果もましてやCDAについての特別な問題を扱う聴聞会も無かったという点において、当法廷は、CDAの構成要件に何らかの意味を持たせるとしてもCDAは狭い範囲に適用されるものとはなっていないということに、同意するのである。

VIII


 CDAの持つ見かけ上の広範性を縮小しようとする努力として、政府は、この法の積極的な禁止条項を支持する為に次の3つの更なる議論を進めようとする。その3点は以下のものである。(1)CDAは、通信における十分な「代替チャンネル」をオープンにしているのであるから合憲である。(2)この法の「知りながら」と「特定の人」という要件のごく普通の意味は、その可能な適用範囲を明らかに限定している。(3)この法の禁止条項は「ほとんど常に」社会的な価値が無いと考えられる情報データに限定されている。

 まず第一に、政府は、チャットグループ、ニュースグループやメール・エクスプローダーといった多くのインターネットの通信手法上でCDAは効率的に会話を検閲するものではあるが、発言したい者はWorld Wide Web上にある制限された言論の場に参加できるという「合理的な機会」を提供しているのであるから、合憲であると主張する(上訴人側提出書面39)。この議論は、CDAは言論の内容を判断基準として言論を統制するのであるから、説得力がない。つまり、「時、場所、方法」という分析が適用できないのである。Consolidated Edison Co. of N. Y. v. Public Serv. Comm'n of N. Y. 447 U.S. 530, 536頁 (1980) 参照。よって、このような言論がWeb上で起きやすいかどうかは重要ではない(政府側の専門家が認めたように、話し手の発言権が今在るウェブサイトによって受け入れられないとすると、データベースの管理費用や年齢確認の費用以外に、更に10,000ドルもの費用がかかるであろう)。政府の立場は、個人は自由に本を出版できると言いながら、或る制定法は特定の題材についてのチラシを発禁することができ得ると論ずることと同じである。チラシの内容如何にかかわらず路上でチラシを配ることを禁じた多くの法律を無効にすることにおいて、当裁判所は、「適切な場所における表現の自由の行使が、どこか他の場所でなされるかもしれないという申立により、法がこれを制限するものであってはならない」と判示したのである。Schneider v. State (Town of Irvington), 308 U.S. 147, 163頁 (1939)。

 政府は同様に、223条(a)項および(d)項における「知りながら」という要件が、223条(d)項に見られるような「特定の子供」という要素と結び付けられる時には、広範性の問題からCDAを救済するものであると主張する。この両項は18歳未満であると分かった人達のみにみだらなメッセージを配布することを禁じているのであるから、政府は、送信者に「みだらな情報データを成人へ配信することを禁ずる」必要はないと主張し、「この両項は18歳未満であると分かった人達へそのような情報データを配信することのみを禁ずる必要がある」と主張する。(上訴人側提出書面24)。この論議は、---チャット・ルーム、ニューズグループ、メール・エクスプローダー、ウェブ---といったインターネット上での場の殆どが、すべて参加者に開かれているという事実を無視している。これゆえに、知りながらという要件が何らかの形で成人の通信を守るという政府の主張は、採ることができない。223条(d)項の「特定の人」という要件を最も狭く読んでも、この制定法は救いようがない。そこには「18歳未満の・・・特定の人」(47 U.S.C.A.223条(d)項(1)号(A)(Supp. 1997))に該当する17歳の私の子供が居るよと教えようとする者達が単にログオンして、これから話をしようとするかも知れない人にも「一方的な差止」という形で、みだらな言論へ参加して反論しようとすることをも検閲しようとする者達に大きな権力を与えることとなろう。

 最後に、当法廷は、科学的、教育的、もしくは何らかの社会的価値を持つ情報データは必然的にCDAの言う「明らかに不快な」そして「みだらな」という禁止条項から外れるいう政府側の主張に対する文書による支持を見いだすことができない。同じく上記註37参照。

IX

 政府側の論拠の残り三つは、223条(e)項(5)号に規定された積極的抗弁に焦点を合わせたものである(46)。まず第一に、「誠実、合理的、効率的かつ適切な行為」規定に依拠して、政府は、「目印を付ける」ことが、この法の合憲性を主張する積極的抗弁を保障しているのではと示唆している。この示唆は、伝達者は自らのみだらな通信を内容が判別できる方法で暗号化でき、受信者が適切なソフトウェアでそのみだらな通信をブロックできるということを推論している。誠実な行為は、この積極的抗弁を意味の無いものとするほどに「効果的」でなければならないとするのも要件である。政府は、その提案するスクリーニングソフトが現在存在しないことを認めている。仮に存在しているとしても、隠れた受信者が暗号化された情報データを現実的にブロックするか否かを知るすべもない。アメリカにおいてすべての保護者が「目印」でもってスクリーニングをしているかどうか知り得ずに、伝達者は自らの行為が「効率的」であるということを信頼できないであろう。

 積極的抗弁に関する第二、第三の議論---当法廷はこれらを一緒に考慮し得ると考える---についてであるが、通信者は有効なクレジットカードもしくは成人であることの証明書を用いることを求めることによりアクセスを制限する時に適用される223条(e)項(5)号の後半部分を、政府は拠り所としている。そのような証明方法は、技術的には可能となっていないだけであり、実際の所は性的に露骨な情報データを商業的に供給する者によって用いられているものである。したがって、このような供給者はこの積極的抗弁により救済されるであろう。しかしながら、連邦地方裁判所の判断したところによると、非営利的な発言者の多くがそのような証明方法を利用するようになることは金銭的に極めて可能性が薄い。したがって、非営利的な言論に対してこの制定法が課す負担を、この積極的抗弁が劇的に軽くするものではないであろう。この積極的抗弁によって保護されるであろう営利的な写真家についてでさえ、これらの証明技術が実際に未成年者が成人になりすますことが出来ないようにするのだということについて、政府はなんら証拠を提示し得なかった(47)。

 刑事罰を科すリスクが「神話上のダモクレスの剣のように、コンテンツ・プロバイダーの頭上を旋空する」と考えれば(48)、連邦地方裁判所は正しくも、この制定法を救うために未だ証明されていない未来の技術に頼ることを拒絶したのである。このように政府は、不快な表示を禁ずることにより生じる成人の言論への重い負担を、自らが出した積極的抗弁が明らかに軽減するであろうことを証明し得なかったのである。

 当法廷は、CDAは保障される言論に受け入れがたい過重な負担を課し、そして、この法が持つ積極的抗弁が、そのままでは明らかに無効で違憲である条項を救済するように「狭く解釈する」ようなものとはならないという、連邦地方裁判所の結論に賛成するものである。Sable判決(492 U.S. 127頁)において、当裁判所は、そこで問題となっている言論の制限は「『豚を丸焼きにするために家を燃やす』」ことになると判示したのである。より暗い陰を言論の自由に落とすCDAは、インターネット・コミュニティーの多くに松明を掲げるよう脅迫するものである。

X

 口頭弁論において、政府は最悪の結論の場合にかなり重点を置いていた。もし当法廷がCDAは十分に調整されていないと結論付けるならば、当法廷は可分条項(47 U.S.C. 608条参照)を重視することおよび不可分条項の用語を狭く解釈することによりこの制定法の合憲性を支持すべきであると政府は主張した。この議論は、一点だけにおいて理解できる。

 可分条項は適用され得る文言規定を必要とする。当裁判所は、その制定法中の合憲である文言要素が実際に可分である箇所において有効なものとしておくことでもって、608条の指示に従っている。「みだらな」という条項(47 U.S.C.A. 223条(a)項(Supp. 1997))は、「わいせつ又はみだらである、あらゆるコメント、リクエスト、示唆、提案、画像、その他の通信」に当てはまる(強調附加)。被上訴人側は、この制定法の適用には修正第1条による保護が全くなされないのであるから、この法の適用は全体として禁止されると認識しており、この制定法がわいせつな言論に適用されることを争わなかった。Miller判決、413 U.S. 18頁参照。この制定法により明らかになる限りでは、「わいせつな」情報データを制限することが、「みだらな」情報データへの文言による明示とは別の形で、文言による明示を持っているのであり、このことは当裁判所が違憲と判断してきたことである。したがって、当法廷は「もしくはみだらな」という用語をこの制定法から切り離し、223条(a)項の残り部分を有効とする。しかしながら、いかなる観点からも、223条(a)項あるいは223条(d)項がこのような文言の切り離しにより救われるということはない。

 政府は、同様にCDAの可分条項の付加的で伝統的でない側面を引き合いに出す。47 U.S.C. 608条。この法は、憲法上許されるであろう「他の人もしくは他の状況」にCDAを適用することを無効にしていないので、この制定法を違憲と判断した判決を再検討することを求めている。政府は更に、「拮抗する考慮」が無いならば、制定法は適用範囲があまりにも広く及ぶ限りは無効と宣言されるべきであるが、しかしそれ以外はそのままにすべきである」という警告を出すことを求めている。Brockett v. Spokane Arcades, Inc., 472 U.S. 491,503-504(1985)。この議論には二つの問題点がある。

 第一に、当裁判所の管轄権に迅速な再検討を認めるこの制定法(47 U.S.C.A. 561条(Supp. 1997))は、「文面上」でCDAについて争う訴訟の管轄権を制限している。561条と一貫するように、この訴訟を提起した本件の原告および裁判に当たった三人の裁判官団は、この訴訟を文面上の違憲主張として扱った。当法廷には、この特定の扱い方について、本件を「適用」違憲主張へと変えさせる権限はない。ましてや、大多数の原告、この原告らの表現活動範囲、この制定法の曖昧さを考慮すれば、当法廷の判断が、法的に明確に定義された一連の特定の法適用に制限されることが現実的であろうはずもない。

 第二に、 Brockett判決で言及された「拮抗する考慮」の一つがここで存在している。文面上の違憲主張を考慮することにおいて、当法廷は、制定法に対する限定的な解釈が「容易に影響されやすい」場合のみに、そのような解釈を課し得る。Virginia v.American Bookseller's Assn.,Inc., 484 U.S. 383、397頁(1988年)参照。同じく Erznoznik v. Jacksonville, 422 U.S. 205、216頁(1975年)参照。(狭く解釈することに「容易に影響される」)。CDAの広がりを持った文言は、適用範囲を制限するために何らの指示を提供していない。

 したがって本件は、制定法の文言や議会の意図が、裁判所が引く明確な線引きを画定するのであるから、当裁判所が制定法を限定的に解釈してきたこれまでの事件とは異なる。たとえば、Brockett判決 472 U.S.の504-505頁(「欲望」という用語を実質的にもしくは効果的に制定法から削除されるような範囲においてのみ、わいせつに関する制定法を無効とする)。United States v. Grace, 461 U.S. 171(1983年)の180〜183頁(そこにあるビルや土地や人間を守るという議会の立法目的と調和するように、歩道とその他の地面との間に明白な線でもって画せ得る場合、公共の歩道にまで解釈が広げられる限りにのみ表現的な表示物を禁止する連邦法を無効とする)。どちらかといえば、United States v. Treasury Employees, 513 U.S. 454, 479頁註26(1995)判決における当裁判所の判断が適用できよう。この事件において当裁判所は、「新しい基準線もしくは複数の基準線がどこに引かれるべきかについて議会が首尾一貫した指示を出さなかった時」、裁判所が線引きをする事が「立法の領域へのずっと深刻な侵害となる」のであるから、「過度に広範な制定法が適用される言論の分野において一つ以上の線を画すること」をしなかったのである(49)。当裁判所は、「憲法が要求するところに合致するように法を書き直すことはしない」のである。American Booksellers判決, 484 U.S. 397頁参照(50)。

XI

 連邦地方裁判所ではなく当法廷において、政府は、子供を守るという法益の他に、これと同等に重要であるインターネットの成長を促すという法益は、CDAの合憲性を支持する独立の根拠をもたらす、と主張した。上訴人側書類19参照。政府は明らかに、インターネット上の「みだらな」そして「明らかに不快な」情報データが規制無く入手できることは、多くの市民が自分自身や子供達を有害な情報データにさらされるというリスクがあるために、その市民がこのメディアから遠ざかるようにしていると推論している。

 当裁判所は、この議論が非常に説得力のないものと判断する。この新しいアイディアの交換市場が劇的に広がっていることは、この主張の事実的根拠と矛盾する。インターネットの成長は、これまでもそしてこれからも目を見張るものであり続けることを記録が示している。憲法上の慣例として、反対の証拠がない場合、当法廷は、言論の内容についての政府規制は、アイディアの自由な交換を活気づけることよりもこれを邪魔をする可能性が高いと推論する。民主的な社会での表現の自由を奨励するという法益は、検閲の持つ理論的ではあるが立証されていないいかなる法益よりも重要である。

 上述の理由により、連邦地方裁判所の判決は支持される。

 上記のように判決する。




[註1]「連邦議会は、・・・言論および出版の自由を制限する法律を・・・制定することはできない。」合州国憲法修正第1条。
[註2]原審は、当事者の要求する356の短評および開廷中に受付けた証拠に基づく54の事実認定を含む410の事実認定をおこなった。929 F.Supp.,830頁の註9、842頁の註15を参照。
[註3]Advanced Research Project Agencyによって発展したネットワークの頭文字をとったもの。
[註4]前掲884頁(事実認定81)。
[註5]前掲831頁(事実認定3)。
[註6]前掲835頁(事実認定27)。
[註7]前掲842頁(事実認定74)。
[註8]前掲836頁(事実認定36)。
[註9]「ウェブパブリッシングとは、何千の個人ユーザーと小さい共同体組織がウェブを用いて自らの『ホームページ』を公開するためにウェブを用いているという単純なものである。このホームページは、その個人や組織についての個人的なニュースレターみたいなものであり、ウェブ上で誰もが利用できるものである。」前掲837頁(事実認定42)。
[註10]前掲838頁(事実認定46)。
[註11]前掲844頁(事実認定82)。
[註12]同上(事実認定86)。
[註13]同上(事実認定85)。
[註14]前掲848頁(事実認定117)。
[註15]前掲844-845頁(事実認定88)。
[註16]同上。
[註17]前掲845頁(事実認定89)。
[註18]前掲842頁(事実認定72)。
[註19]同上(事実認定73)。
[註20]前掲845頁(事実認定90)。「電子メールアドレスは、受信者についての権威ある情報を提示するものではない。またこの受信者も電子メールアドレスの『エイリアス(別名)』とか匿名転送メーラーを使うことができる。また、電子メールアドレスやその電子メールに対応した個人名とか電話番号の掲載された万能でもしくは信頼性のあるリストは存在していない。そしてそのようなリストは直ぐに役に立たないものになってしまうであろう。これらの理由から、送信者が電子メール受信者が成人か未成年者かを知るのに信頼できる方法は多くの場合無いのである。電子メールの年齢確認が困難なことは、送信者側のリスト上に掲載されている電子メールアドレスに自動的にメールを送るものである、リストサーブといったメール・エクスプローダーに対しては一層難しくなる。政府の専門家Olsen博士は、現在の技術では、特定のメール・エクスプローダーのメーリングリスト上には成人だけが載っているという確証を発言者に与えることはできないであろうことに同意した。」
[註21]同上(事実認定93)。
[註22]前掲846頁(事実認定102)。
[註23]前掲847頁(事実認定104-106)。「ACLU、ストップ・囚人レイプ、クリティカル・パス・エイズ・プロジェクトのような非営利組織の殆どすべでではないにせよ、少なくとも幾つかは、聴視者がこのような組織の発言にアクセスすると課金するということは、自らの情報データを無料で広く一般に利用してもらえるようにするという組織の目的に反すると考える。・・・」「成人のユーザーで、特にたまたまウェブをブラウズしているユーザーは、クレジットカードとかパスワードの利用を求められる情報を引き出すことを止めてしまうであろうということを示唆する証拠がある。Andrew Ankerは、参加メンバーに名前、電子メールアドレス、自らが決めたパスワードの提出だけを求めるHotWiredの登録システムに対し、HotWiredは、メンバーから多くの苦情を受け取っていると証言した。広告主はサイトが広く一般にアクセス可能で何度も訪問されていることを実証することに大きく関心を持っているので、営利目的のコンテンツ・プロバイダーは、年齢確認を要求することが広告数と収入を減らすのではという心配がある。」
[註24]Exon修正案No.1268、141 Cong. Rec. S8120(1995年6月9日)参照。同じく同S8087参照。この修正案は改訂されたが、1996年の通信法502条となった。110 Stat 133, 47 U.S.C.A.223条(a)項〜(e)項(Supp. 1997年)。下院議員の何人かは、Exon修正案は「今現在の親達は民間部門で入手可能なこれらの製品でもって、家庭用コンピュータを子供にとって安全なものにすることができる」と考えたので、Exon修正案に反対した。その下院議員らは、またもや上院のアプローチは「我々の子供達は一向に守られない傍らで、訴訟の大洪水となるであろう、そして捉えがたい用語の定義をしようとして莫大な予算を使うように連邦政府を巻き込む」であろうと考えた。これら議員はExon修正案の代案として修正案を提出したが、これとは別に、「オンライン家族授権法(Online Family Empowerment)」と題される法を成立させたのである。110 Stat 137、47 U.S.C.A. 230条(Supp. 1997年)、141 Cong. Rec. H8468-H8472参照。その法となった条項について聴聞会は開かれなかった。S.Rep.No.104-23(1995年)9頁参照。しかしながら、上院がExon修正案を可決した後、その司法委員会は「サイバーポルノと子供達」について1日聴聞会を行った。その聴聞会の開会の挨拶で、Leahy上院議員は次のように述べた。「議長、あなたが開会の辞でこれは前例がない聴聞会であると述べられた時、私は本当に愕然とした。議長、あなたは確かに正しい。けれども、議場で主な議論を行い、多くはインターネットに関する議案を通過させ、インターネットを劇的に変化させうる議案---或る者はめちゃくちゃにすると言うであろう---ものを通過させた。上院はいやおうなしに進み、議案を通過させ、一度も聴聞会を開かず、一時間かそこらの議場での議論のほかに議論を行うことなく、である。」サイバーポルノと子供達:問題の範囲、技術の状態と議会による行動の必要性、上院司法委員会前の聴聞会S.892。第104回連邦議会第1セッション7-8(1995年)。
[註25]連邦政府と反対意見は、223条(d)項(1)号を二つの「明らかに不快な」条項と「表示」条項に分けるけれども、当法廷は、連邦地方裁判所の命令と意見と同じく、223条(d)項(1)号一つの条項と表すことにおいて、下記の両当事者の合意に従う。
[註26]223条(e)項(5)号全文は、「(5)本条下位項(a)項(1)号(B)に基づく行為を容易ならしめるために用いたことに関し、本条の下位項(a)項(1)号(B)もしくは本条(d)項または本条下位項(a)項(2)号に基づく訴追に対して、以下のことは積極的抗弁となる。」「(A)これらの項において特定されている通信に未成年者がアクセスするのを防いだり制限したりすべき状況下で、可能な技術により実現可能な手段も併せて、未成年者にそのような通信を制限させる適切な方法を含んだ、誠実で、合理的で、有効で、適切な措置を講じた者」、もしくは「(B)有効なクレジットカード、デビットアカウント、成人向けアクセスコード、成人であることの確認番号の使用を求めることにより、そのような通信にアクセスすることを制限してきた者」と規定している。
[註27]アメリカ自由人権協会(American Civil Liberties Union)、人権ウォッチ(Human Rights Watch)、電子プライバシー情報センター(Electronic Privacy Information Center)、電子フロンティア協会(Electronic Frontier Foundation)、ジャーナリズム教育協会(Journalism Education Association)、社会的責任へのコンピュータ専門家( Computer Professionals for Social Responsibility)、全国作家協会(National Writers Union)、クラリネット通信会社(Clarinet Communications Corp.)、グローバルコミュニケーション研究所(Institute for Global Communications)、ストップ監獄レイプ(Stop Prisoner Rape)、エイズ教育グローバルシステム(AIDS Education Global Information System)、ビブリオバイツ(Bibliobytes)、クイア・リソース・ディレクトリ(Queer Resources Directory)、クリティカル・パス・エイズ・プロジェクト社(Critical Path AIDS Project, Inc.)、ワイルドキャット出版(Wildcat Press, Inc.)、デクラン・マックラフ判事のオン・キャンパス(Declan McCullagh dba Justice on Campus)、ブロック・ミークスのサイバーワイアー急送(Brock Meeks dba Cyberwire Dispatch)、ジョン・トロイヤーの安全なセックスページ(John Troyer dba The Safer Sex Page)、ジョナサン・ウォーレスの倫理の光景(Jonathan Wallace dba The Ethical Spectacle)、アメリカ両親計画連合社(Planned Parenthood Federation of America, Inc.)。
[註28]アメリカ図書館協会(American Library Association)、アメリカ・オンライン社( America Online, Inc.)、アメリカ書籍販売協会(American Booksellers Association, Inc.)、表現の自由に対するアメリカ書籍販売財団(American Booksellers Foundation for Free Expression)、新聞編集者アメリカ協会(American Society of Newspaper Editors)、アップル・コンピュータ社(Apple Computer, Inc.)、アメリカ出版社協会(Association of American Publishers, Inc.)、出版社編集者作家協会(Association of Publishers, Editors and Writers)、市民インターネット連合(Citizens Internet Empowerment Coalition)、インターネット商業取引協会(Commercial Internet Exchange Association)、コンピュサーブ社(CompuServe Incorporated)、インターネット検閲に反対する家族(Families Against Internet Censorship)、読む自由財団(Freedom to Read Foundation, Inc.)、健康科学図書館コンソーシアム(Health Sciences Libraries Consortium)、ホットワイアード・ベンチャーズLLC(Hotwired Ventures LLC)、インターラクティブ・デジタル・ソフトウェア協会(Interactive Digital Software Association)、インターラクティブ・サービス協会(Interactive Services Association)、アメリカ雑誌出版社(Magazine Publishers of America)、マイクソフト社(Microsoft Corporation)、マイクロソフト・ネットワークL.L.C.(The Microsoft Network, L.L.C.)、 全国写真出版協会(National Press Photographers Association)、 ネットコム・オンライン通信サービス社(Netcom On Line Communication Services, Inc.)、アメリカ新聞社協会(Newspaper Association of America)、オプネット社(Opnet, Inc.)、プロディジー・サービス社(Prodigy Services Company)、ジャーナリスト協会(Society of Professional Journalists)、ワイアード・ベンチャーズ社(Wired Ventures, Ltd.)。
[註29]110 Stat. 142-143頁。47 U.S.C.A.223条(Supp.1997年)に続く注釈。
[註30]929 F. Supp.,877頁参照。「インターネット通信の四つの関連する特徴が、CDAは文面上違憲であるという当法廷の共通の判断に絶大なる重要性を持っている。当法廷は、これらの特徴を上記の事実認定において説明したので、ここでは簡単にそれを列挙のみする。第一に、インターネットは入るに当たり非常に敷居が低い。第二に、この入り口の敷居は発言者と聴取者で共通である。第三に、敷居が低いことの結果、びっくりするような多様な内容のコンテンツがインターネット上では入手可能である。第四に、インターネットは、このメディアで話したいと望む人全てに、意義あるアクセスをもたらし、そこでの発言者間に相互的な同好者を生みだしたりさえする。」ダルツェル判事によれば、これらの特徴と連邦地方裁判所の事実認定の残りの部分は、「連邦議会はインターネット上のみだらなものを全く規制し得ないという結論に至るのである」とする。同上。被控訴人は当法廷でこの議論を出さなかったのであるから、当法廷はそれを考慮しない。被控訴人はまた、連邦政府は一般に「みだら」で「明らかに不快な」言論から未成年者を守ることを強制する権限を持っているということについて争わなかった。
[註31]390 U.S.,639頁。当法廷は、Prince v. Massachusetts, 321 U.S. 158,166頁(1944年)から引用した。「子供の監護、世話、養育は、まず第一に両親のところに備わっているものであり、この両親の主な役割と自由には、州政府が取って代わったり邪魔もし得ない義務に対する心構えが含まれることは、我々にとって基本的なことである」。
[註32]成人から未成年者へ送られる電子メール送信の多くは家族間の会話であるとすると、(オコーナー判事の)反対意見がCDAの条項がこの狭い領域においてすらも、「Ginsberg判決で支持した法と異なるところはない」と述べるところは正しくない。下記8。
[註33]Pacifica Foundation v. FCC, 556 F. 2d 9, 36頁(CADC 1977年)(レバンタル判事が反対意見)、FCC v. Pacifica Foundation, 438 U.S. 726 (1978年)で破棄、を参照。Pacifica判決が下された時、ラジオ放送局が連邦政府免許に基づいて開局が認可され、みだらな言論を放送することを認可者には禁ずる法律を連邦議会が成立させていたので、ラジオ聴取者のメンバーが、ラジオを通して聴くこと全てがある種の公式もしくは社会的な認証がなされるのではと勘ぐるリスクが存在した。556 F.2d,37頁、註18参照。いかなる連邦政府機関も監視しているわけではないインターネットを通じて受信したメッセージに、そのようなリスクが及ぶことはない。
[註34]法律家による供述書3。(929 F. Supp.,831頁を引用(事実認定3))。
[註35]「みだらな」は文言上の文飾から得をしたものは何もない。「明らかに不快な」は、「文脈」における判断と「現代の社会的基準による判断」に基づき、「性的なあるいは排出の行為や器官」を含むという限度内だけで適切となる。
[註36]Gozlon Peretz v. United States, 498 U.S. 395,404頁(1991年)参照。(「議会が或る制定法の一カ所に特定の言葉を入れたが、同一法のまた別の箇所でその言葉を入れなかった場合、一般には、議会は意図的かつ目的意識を持って、相反する挿入と除外行っていると推論される」)(括弧内部の引用符省略)。
[註37]この制定法は、「明らかに不快な」と「みだらな」を決定することが未成年者とか人口の全体との関連でなされるべきであるとは示していない。政府は、適切な判断基準は、「未成年者には適切な情報データとはどのようなものか」であると主張する。上訴人への回答書類18註13。(Ginsberg v. New York, 390 U.S. 629,633頁(1968年)を引用している)。しかし、議会出席者は明白に否決した。「未成年者に有害な」という判断基準といったものを課す修正案を明らかに否決した。S. Conf. Rep. No. 104-230, 189頁(1996年)(S. Conf. Rep.), 142 Cong. Rec. H1145, H1165-1166 (1996年2月1日)参照。議会出席者はまた、これらの尊重すべき価値の無いものに、禁ぜられる情報データを限定しようとした修正案を否決した。S. Conf. Rep., 189頁, 142 Cong. Rec. H1165-1166 (1996年2月1日)参照。
[註38]「trunk」という単語それだけでは、旅行かばん、水着、木の幹、動物の長い鼻を意味し得るものであるが、trunkの意味は、灰色動物の種を特徴付ける三つの部分の一つであるとき、(尖った角という意味が)はっきりするのである。
[註39]413 U.S.,30頁。(『扇情的な好奇心』とか『明らかに不快な』という言葉が何を訴えているのかを定義することは、本来事実問題である。そして我々の国は単に大きすぎ多様化しすぎているので、たとえ、前提となるコンセンサスが存在していると考えても、そのような基準が一つの方式で50州すべてに対し明確にすることができ得るとは合理的には期待できないのである)。よって、Miller判決における言葉「現代の社会的標準」を具現化するCDAは、CDAが「コンテンツ規制の統一的国家的基準を確立する」ように意図されていたとする議会出席者自身の主張と矛盾するのである。S. Conf. Rep.191頁。
[註40]同意見、Butler v. Michigan, 352 U.S. 380, 383頁(1957年)(子供に有害であると考えられた成人向けの本を売ることを禁じたのは違憲である)。Sable Communications of Cal., Inc. v. FCC, 492 U.S. 115, 128頁(1989年)(「ダイアル・ポルノ」メッセージを禁じたことは違憲である)。Bolger v. Youngs Drug Products Corp., 463 U.S. 60, 73頁(1983年)(勝手に送りつける形で避妊薬広告を郵送することを禁止するのは違憲である)。
[註41]Sable判決において問題となっている制定法に対して立法府の配慮が欠けていたことは、本件にも同様のものを示唆している。492 U.S. 129-130頁。(議案発案者による討論においてなされた確固たる言明および一年前この法案と実質的に同一である法案の聴聞会における同じような発言とは別として、・・・この法廷に提出された議会議事録は、FCCの一番新しい規制がどの位効果があるのか無いのかまたその証明について、全く証拠を出していない。・・・どの下院議員も上院議員も、どのくらいの頻度でどの程度の未成年者がルールをうまくくぐり抜け、ダイアル・ポルノ・メッセージにアクセスしているかについて、熟慮した判断を提示したとはしなかったのである)。同註24。
[註42]「送信者は、メッセージを受け取る特定の人々の少なくとも一人が未成年者であることを知りながら、一人以上の受信者へのメッセージを送信する」時はいつでも、これらの条項が適用され得ることに政府は同意している。上訴棄却申立への反論および法律家による陳述書に対する反論4-5註1。
[註43]政府は、「営利目的のウェブ・サイト運営者に、その運営利用にふさわしい最も穏当な責務を負担するように要求することについて、憲法上疑わしいことは何もない」と主張している。上訴人側書類35。しかしながら実際は、「最も穏当な責務」が効果的であるという証拠はない。
[註44]成人および青少年両者に対し、わいせつ物と児童ポルノを送信することは、インターネット経由であろうと他の方法であろうと、連邦法上違法である。18 U.S.C.1464-1465条(わいせつ物の刑事処罰)、2251条(児童ポルノの刑事処罰)参照。事実、議会がCDAを考慮していた時、政府は、既存の法律がすでにわいせつ物、児童ポルノ、子供の誘惑を刑事訴追する今行われている働きを認めているのであるから、そのような法律は必要ないという意見を表明した。141 Cong. Rec. S8342(1995年6月14日)(合州国司法省副検事Kent MarkusからLeahy上院議員への書簡)参照。
[註45]Church of Lukumi Babalu Aye, Inc. v. Hialeah, 508 U.S. 520(1993年)判決を引用しながら、被上訴人は、彼らの考えでは、CDAがなぜ厳密な精査に欠けているのかについて、もう一つの理由を提示している。被上訴人によると、性的に露骨なコンテンツの多くは海外から来るものであり、CDAは「効果的」たり得ない。被上訴人アメリカ図書館協会他の書類33-34。この議論は、CDAが目的とする適用範囲、同様に許される適用範囲、領土的適用範囲について難しい問題を提起している。当法廷は、本件を扱うに当たりこれらの問題には触れることは必要ないと判断する。
[註46]223条(e)項(5)号の全文については、註26参照。
[註47]したがって、皮肉なことには、社会的または芸術的に重大な価値を持つみだらなメッセージを送信することでわずかしか(あるいは皆無)利益をもたらさないのではあるが、わいせつな発信をする営利目的の提供者をこの積極的抗弁は守るということになるのである。
[註48]929 F. Supp., 855-856頁。
[註49]当裁判所が以前より説明してきたように、「もし立法府が、可能性のある全ての犯罪者を捕まえるのに十分広い網を張ることでき、その内部に踏み込むことは裁判所に任せきりにして、正当に誰が監禁され誰が自由の身となるのかを言うことができるとすると、確かに危険なことであろう。このことは、或る程度までは、司法が政府立法機関の代役を果たすことを意味することになろう」。United States v. Reese, 92 U.S. 214, 221頁(1876年)。部分的にはこの三権分立問題故に、当裁判所は、権力分立条項は「単なる助けであって、決して曲げられない命令ではない」と判示してきた。Dorchy v. Kansas, 264 U.S. 286, 290頁(1924年)。
[註50]Osborne v. Ohio, 495 U.S. 103, 121頁(1990年)(裁判所が制定法を書き直すことは、議会の「まず第一に、狭い範囲に適応される法を起草するインセンティブ」を損なうかもしれない)も参照。



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